【根本厩舎】根本康広は何者で評判は?藤田菜七子との関係や出会いがやばい!

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藤田菜七子騎手がJRAに引退届を提出しました。この経緯について、藤田菜七子騎手の師匠であり、所属する根本厩舎の根本康広調教師がマスコミに対して対応して話題となっています。

この根本厩舎の根本康広調教師は、何者で評判はどうなんでしょう。

また、藤田菜七子騎手との出会いや関係についてチェックしていきましょう。

目次
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根本康広(根本厩舎)は何者?

根本 康広はJRA の元騎手で現在は調教師をしています。美浦トレーニングセンター所属です。

*美浦トレーニングセンターとは、

根本 康広調教師は、今月10日にJRAに引退届を提出した藤田菜七子騎手が所属する厩舎の調教師して有名ですね。

今回の藤田菜七子騎手の引退についてのコメントも多く発信されていて、藤田菜七子の騎手としての育ての親です。

プロフィール

根本調教師のプロフィールとなります。すでに根本調教師は68歳、70歳で調教師も定年を迎えます(定年2026年2月)

プロフィール

名前:根本 康広(ねもと やすひろ)

生年月日:1956年1月31日(2024年10月時点、68歳)

身長:166センチ

出身:東京都北区堀船

仕事:調教師 根本厩舎を運営

経歴:1977年に騎手デビュー、1997年2月、調教師免許を取得し騎手を引退

趣味:プラモデル、ゴルフ、ぶらり旅

家族:2019年8月に妻は死去 息子と娘がいます(共に競馬関連に従事)

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根本康広調教師は騎手としても優秀

第54回日本ダービー (G1)で優勝したメリーナイスと根本康広騎手

根本康広調教師は、1977年に騎手デビューしています。

  • 1985年天皇賞にて初G1制覇
  • 1986年 朝日杯3歳ステークス(G1)
  • 1987年 日本ダービー(G1)

G1では3勝しています。

通算2633戦235勝、うちGI競走3勝を含む重賞14勝という素晴らしい成績の実績をあげ、

1997年2月に調教師免許を取得し騎手を引退されています。

調教師として根本厩舎を運営

現在、根本厩舎には丸山元気、野中悠太郎、藤田菜七子、そしてルーキーとして最多5勝(9日現在)をマークする長浜鴻緒の4人が所属しています。

今回、藤田菜七子騎手は引退となっていますが・・

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根本康広氏の評判

根本康広調教師の評判はすこぶる良いです。かなり明るい方です。

騎手時代から明るい人柄で知られ、同期生の加藤、木藤と仲が良く「美浦のひょうきん族」とも呼ばれていました。

騎手としての評判は、ときに人気薄の馬を上位に導いてくる、俗にいう「穴騎手」でした。

こんなことから、「根本を軽んずる者は根本に泣く」「根本を重んずる者は根本に泣く」という格言が作られたと言われています。なにかカッコいいです。

新人騎手の引き取り厩舎は見つかりにくい現状のなか、その中で積極的に新人を預かり、成長の手助けを惜しまない根本調教師には、人間味あふれる魅力があります。

*昔と比べてオーナー、牧場サイドの権限が強まり、鞍上決定のパワーバランスは変化。騎乗数を確保しにくい現状です。

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根本康広と藤田菜七子との出会いや関係

根本康広と藤田菜七子との出会いや関係についてみてきましょう。

出会い

根本調教師は、2016年に新人の藤田菜七子の騎手を根本厩舎に受け入れました。

藤田菜七子騎手は、競馬とは関係ない家庭に育ち、16年3月、美浦・根本康広厩舎からデビューしています。

新人で女性騎手を受け入れる厩舎は現在少ないなか、根本厩舎は受け入れています。これはかなりすごいことなのです。

「今は亡くなった妻に“男の子でも大変なのに、女の子を迎えて大丈夫?20歳になるまでは自分が親のつもりで接しなさい”と言われたんだ」と師。

奥様からもかなり心配されていました。根本調教師のJRAの発展を願う強い意志が感じられます。

地方競馬行脚で修業する藤田を車で送り迎え。疲れて助手席で眠る藤田を起こさぬよう、片道数時間のドライブを重ねる日々だった。そうです。

根本康広と藤田菜七子との強い師弟関係

根本厩舎に所属になってから、根本調教師は、9年間娘のように藤田菜七子騎手と接してきました。

ただ、2024年10月10日にこの関係も終止符をうつことになります。

JRAの藤田菜七子騎手が10月10日にJRAに引退届を提出したのです。

10月11日に師匠の根本康広調教師が発表します。

藤田菜七子騎手の通信機器の不正利用について、週刊文春がぶり返し、JRAが処分した結果、藤田菜七子騎手が引退届を出すことになってしまった。

根本調教師は、「本人も納得がいかない部分があると思う。引退届は私の万年筆で大泣きしながら書いていた。」と残念でならない様子。

その際、2人は大泣きしたという。師の万年筆で引退届を書き終えると、藤田は師匠の胸で慟哭(どうこく)した。師も声を上げて泣き、別れたという。

雇用主のJRAの曖昧な態度、二重処罰で、引退届を書かざるをえない精神的状態に追い込まれたなら、半ば意思に反して書かれ無効ではないだろうか

あと2年一緒にがんばろうと話していた

藤田菜七子騎手(27歳)はあと少しで30歳、根本調教師も2026年2月には定年を迎えるため、あと2年は一緒に頑張ろうって言っていました。

「ここ最近はなんとかあと2年は一緒に頑張ろうと話し合っていた。こんな形でやめたくないよ、菜七子だって。俺は死ぬまで菜七子が泣きながら引退届を書いた姿を忘れない」と大粒の涙を流した。

ただ、その約束も叶わず、突然の別れとなってしまった。9年間の思いにて、泣きながら根本調教師は言った。

「(菜七子が)宮崎に行く前に俺たちは一生の縁だからなと言っておいた。いつかまた笑って会いたいね」。

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まとめ

【根本厩舎】根本康広は何者で評判は?藤田菜七子との関係や出会いについて紹介してきました。

根本康広調教師のお人柄、騎士として、調教師として立派な方です。

今回の藤田菜七子騎手の引退、別れは定年前にして厳しい結果となって残念でした。

残り少ない根本厩舎での調教師としての活躍、お祈りします。

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